中村一義がつぶやいてた頃

高校生の頃、「天才」としてロッキンオンなんかで扱われていた中村一義を、確かレンタル屋かどっかの試聴機かなんかで(記憶があやふや過ぎてすいません)聴いて、『金字塔』だと思うんだけど「なんじゃこの声!」と思い、その頃Oasisに夢中だった私は(要はリアムのあの声にハマっていたわけです。すこし嗄れてるんだけど強い声)そのままレンタルする事もなく、半ば“聴かず嫌い”に。それが中村一義との最初の出会い。

それから数年後、東京に出てきて「周りの奴は全員敵だ」と言わんばかりの態度(威圧的、ではなく、ビビリの裏返し)だった私に、同級生の桜井くんが『太陽』を貸してくれて、「うーん、中村一義かー。あんまりハマらなかったんだよなぁ」と思いながらも聴いてみて、ガツン!と衝撃を受けたのが、二回目の出会い。

それ以降は『ERA』の発売前先行試聴会(確か場所は赤坂ブリッツだったはず。本人が最初出てきてCDのプレイボタンを押し、その後は客だけで爆音で流れる新作を聴く、っていう、今考えたら何とも不思議なイベント)に参加したり、新譜もちゃんとフラゲしたり(ちゃんとフラゲ、って矛盾してるけども)、しっかりしたファンになるんだけども、ただ、ここ数年はその活動を熱心に追いかけてはいませんでした。

まぁ、理由は様々ですが(趣向の変化。が多分一番大きい)、どっかで引っかかっていたのは、「中村一義は少し無理をしてるんじゃないか?」という事。

私は、『金字塔』『太陽』の頃の中村一義って、「つぶやき」を音楽にしていたと思うんです。宅録志向、っていうのもあるんだけど、半径の短い自分(とその周り)の世界から、外に届くかどうかわからない強度でつぶやかれる音楽。 外に出たくて仕方がなかった高校時代にあまりハマらず、外に出てみたものの悶々としていた上京生活初期に響いた、というのも、私がそう捉えていたからじゃないかと。

で、その2作の後、「ジュビリー」という素晴らしいアンセムで高らかに外に向かって歌い出した中村一義を聴いて、「あー、いい感じだなぁ。この感じで多幸感溢れるポップスをたくさん聴きたいなぁ」と思っていたんですが、その後彼は、より攻撃的に(もちろん優しさも内包されてるんだけど)「叫ぶ」方にシフトチェンジしていったような気がします。「叫ぶ」為にライブを始め、「叫ぶ」為にバンドを組んだ、というか。

そこに私は、何か無理をしているような印象を抱いてしまったんです。

もちろん、100s以降の曲も好きだし、『OZ』に収録された「Honeycom.ware」は狂ったように繰り返し聴きましたが、どうも違和感が拭えない。彼の「初期衝動」は、こういう「叫び」じゃなくて、弱々しくて吹けば飛ぶような「つぶやき」だったはず、と。

そして、中村一義名義としては久々の新作『対音楽』。彼のルーツであるベートーベンと向き合いながら作られた、というのを知り、とても嬉しくなりました。「懐古主義」とか「ノスタルジー」とか言われると何とも反論しようがないんですが、それでもやっぱり中村一義の本質は、自分のアクションで世界を変質させようとする試み=叫び、ではなく、その内省性の発露が連帯を生み拡散していく=つぶやき、にあると思うから。

ま、とか書きながら、まだ『対音楽』を聴いていない、っていう最悪のオチが待っているわけですが(笑)、幸いにも12月に武道館で行われるライブ(サニーデイ100sも出演するという素晴らしいライブに、友人が誘ってくれました。ありがたや)に行く予定なので、そこで“今”の中村一義がどうなっているのか、しかとこの目に焼き付けてこようと思います。