フィクション。

2019年の4月1日に、平成の次の元号「令和」が発表されまして、いよいよ自分にとっては3つ目の元号になったわけです。

で、発表のタイミングはちょうど自宅にいたんで、その会見の様子を見てたんですけども、どっからどう見ても「昭和のおっさん」って感じの官房長官元号の書を掲げた時に、なんだか、「これは果たして現実なんだろうか」という感覚に陥ったわけです。

元号なるものと天皇制について、とか、その“浮世離れ”感とか、4/1ってエイプリルフールじゃねーか、とか、まぁ色々要因はあるんでしょうけど、その前から薄々感じていた、「世の中のあらゆるものがネットで“ネタ化”する」ということもあるのかな、と。

なんでもかんでも、特にTwitterなどのSNSでは見境なくネタになっていって、メディアの報道もそれを補強するように色んな情報(細かくてゲスいものも含めて)がどんどん出てきて、まさにネタとして一瞬で消費されていく。というのを日々目の当たりにしてると、いわゆる一大事ですらネタの材料に感じられて、それってホントに存在するのかしら?(まぁ、元号に対して「存在」って言葉を使うのも微妙ですが)と、どうもふわふわした実感の無さを感じてしまったわけです。

で、施行されて本当に元号が「令和」になって2ヶ月あまり経ち、公的機関からの郵送物とか色んなものに、これ見よがしに「令和元年」って記載されてるわけですけども(これ見よがし、ってことはないけどね、当たり前なんだけど)、それがどうも、嘘くさいというか、遊びに見えちゃってる自分がいるんですよね。

この感覚、やっぱりフィクションとリアルの境界線が溶けていってることと関係があると思うんですけど、その辺りのことは面倒なんで、まだちゃんと考えてません。考えたいんだけど、色々調べたり、読んだりしたいな、って思うのとセットなので手が出せず。そのうち考えてみようと思います。

ということで、初めて「令和」というのをiPhoneで入力した私は、西暦で表記してくれた方が色んな計算が早いので助かります。だってさ、シニア料金とか、免許証見せてもらっても「昭和」でかかれてたらさ、ぱっと年齢計算出来ないでしょ?西暦を分かりやすく書いてほしいわ。